堀江貴史氏のことはずっと「悪い奴」だと思っていた。
しかし、思い返してみれば、僕が彼を評価する資料は全て例の「ライブドア事件」のテレビ報道によるものでしかなかった(今はほとんど見なくなってしまったが、当時はまだ少しはテレビを見ていた)。
もともと僕は経済に詳しいわけでもなく、ましてや「ライブドア事件」で何らかの直接被害を受けたわけでもない。
しかし(いやだからこそ)、テレビによる一方的な報道を何の疑いもなく鵜呑みにして、堀江氏のことを評価していた。
冷静に考えてみると、堀江氏は「フジテレビ買収」を企図しテレビ業界の既得権益層に真っ向から挑んだ人間である。テレビが彼のことを好意的に報道するわけがない。
僕はまったく深く考えずに、この報道に対するリテラシーを著しく欠いていたと言わざるを得ない。
その「ホリエモン」こと堀江貴史氏の評価が少しずつ変わり始めたのは、彼がTwitterで頻繁に様々な意見を言うのを目にするようになってからである。
Twitterで彼のことをフォローするようになって驚いたのは、自分に対する些細な批判にもいちいち答えていた点だ。
彼のようにTwittterのフォロー者数が数十万にもなると、当然称賛も批判も山のようにあるわけで、通常は無視してしまうことが多いと思う。
しかし堀江氏は愚直と言っていいほど、そのひとつひとつに答えてTweetしていたのだ(もちろんそれが全ての批判に対してかどうかはわからないが)。
多くの人が、堀江氏に対する評価を変える潮目になったのはTwitterでの発言によるもののようだ。
そういう意味では、彼の「草の根運動」は確実に種を撒いていたと言えるのかもしれない。
前置きが長くなった。
堀江貴史氏と茂木健一郎氏の対談本「嫌われ者の流儀」を興奮しながら読んだ。
茂木氏も堀江氏のことを「悪い奴」だと思っていたらしい。
堀江氏は茂木氏をNHKの司会なんかをする「つまんない男」だと思っていたらしい。
茂木氏と堀江氏の両者をTwitterでフォローしていると、全く別々のタイムラインで流れて来ていた二人のTweetが絡み始めたのは比較的最近のことだ。
Twitterを通して互いの存在を再認識した二人が2010年10月から2011年5月までに6回、計15時間に渡って、ライブドア事件について、日本について、日本人について、国家について、司法について、変革・革命について・・・様々な問題について、互いの見解を述べ合い、ディベートし、意気投合し、エールを送りあう。
決して二人の主張の全てが一致しているわけではないが、お互いを社会(既得権益層)からの「嫌われ者」と認識し合った時、お互いに生まれたリスペクトの思いが実にいい塩梅にこの対談を醸成し、相乗的に密度の濃い時間を作りだしている。
深い教養に裏打ちされたそれぞれの確信が、些細な日常生活周辺から宇宙に至るまで縦横無尽に絡み合い、読者さえもその現場に居合わせたかのように興奮に引き込んでいく。
いい対談本です。
目次を読み直していたらまた読み返したくなってきた。
ホリエモンの懐の深さもさることながら、茂木さんは対談が巧いわ。他の対談本でも思ったけれど、相手の持てるポテンシャルを存分に引き出してくる。
幅広い教養と相手に対する敬意と洞察力が有機的に作用して、相手が準備していた以上のものをポジティブに出して来させる。そんな印象です。
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