「街場の中国論」
何故外交がここまでこじれなければならないのか?(本当はこじれているのではなく、何らかの眼に見えない取り引きがあるのか?) アメリカはどう考えているのか? 中国の発展は今後どうなるのか?(発展し続けることが可能か?環境問題はどうなるのか?)
ネット社会は韓国も含む隣国の話題に対して非常に敏感であり、隣国について、隣国との関係について語ることは相当にデリケートな問題である。
隣国に関するほんの些細な発言や記述が独り歩きして、ネットの匿名社会で「血祭り」にされることも少なくない。
しかし、冷静に考えてみると、そう言ったファナティックな意見が形成される土壌は、単純に僕たちが日本という国を愛しているという要素だけで成り立っているとは思われないような気がする。
つまり、何らか別の所からの「意思」が「そういう方向」に向かわせているのではないかと疑ってみずにはいられないのだ。
そういう僕の漠とした疑念にすっと収まるように答えてくれた一冊、「街場の中国論」。
日本の辺境性については良く理解しているつもりであったが(「日本辺境論」)、本来の「中華思想」から両国間の関係に迫る段は実に腑に落ちるものがあった。
中国(中国共産党)の考え方は、我々日本人の論理規範を単純に当てはめることで理解しようとするから無理が生じる。
「中華思想」しかり、「国民的統合の記憶の核」に立ち返るための方便としての「抗日・反日感情」しかり。
もちろんそれが外交というネゴシエーションの場で、(日本にとって)良いか悪いかというのとは別の次元の問題で、あくまでも「理解」の問題である。しかし、この肝心の「理解」がなされていなければ、タフ・ネゴシエーションの中から少しでも日本にとって良い条件を引き出すことは困難だと思う。
そういう観点から日本を牽引してくれる政治家が見当たらなそうなのは、日本の未来にとって憂慮すべきことかもしれない。
また、「理解」とは別に、第3者の「意向」が常にこの大陸と日本の間に入り込んでくることも忘れてはならないだろう。
アメリカと日本の関係、中国と日本の関係は常に「ゼロサム」であるという論は言いえて妙だ。
アメリカはアジア各国を分断統治しようとしている、という論には全面的に賛成である。
アメリカは日本や中国・韓国が戦争をしない程度に仲違いしている方が自国に利益を誘導することができるという。
結局のところミステリーと同じで、「誰が一番得をする?」という原点に帰れば、思わず膝を打つ。
(個人的には、中国はその同じ手法を、日本と韓国の間に適応しているのではないかと思っている。僕は90年代には官民ともに日韓蜜月の時代が来ると信じていた。それが困難を極めているのは、お互いの経済事情や米国との絡みだけによるものではないだろうと思う。内田先生には是非「街場の韓国論」も執筆していただきたい。)
かように、「街場」(誰にでもアクセスできる情報)から中国を読み解いたこの本。最初の版が出たのは2007年であり、古い話題も盛られているが、決して今も色褪せていない。そこに2011年初頭までの新しい事項を増補して、中国論を語りながら、優れた日本論、米国論にもなっている。
良きにつけ悪しきにつけ、中国に関する話題に事欠かない昨今、何度も読み返すべき本だと思う。
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