« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2011年8月

2011年8月29日 (月)

平日にチョイ乗り+α

Dsc01330

今日はちょっと昼休みを拡大して、仕事の合間にチョイ乗り+α。

最近知り合ったGS乗りの方とご一緒しました。

思わぬところで共通の知人が居て、世間の狭さを痛感。

BMWのバイクはイタリアンと違ったカチッとした作りに惚れ惚れさせられます。

この最新のDOHC化されたフラットツインのGSは、人間が作り出したバイクという乗り物のひとつの頂点のような気がします。

いいバイクだな~。

てな訳で、また仕事に帰ったのですが、良いストレス発散になりました。

また行きましょう!

| | コメント (2)

2011年8月24日 (水)

花火

Dsc01326

今日は隣町で大きな夏祭り。

山陰を照らす二尺玉・三尺玉の明りと遠くに響く爆発音に誘われて、我が家でも小さな花火大会。

夜はすっかり涼しくなり、もう夏も終わりの気配。

夏休み中にもう一度できるかな。

| | コメント (0)

2011年8月22日 (月)

手作り二極モーター

Img_2796 

小学5年生の長男が自由研究で二極モーターを作りました。

教科書通りに作ったはずなのに回らないので僕が少し手直ししたのですが、要は精度だけの問題でした。

僕も今回理科の教科書やネットで勉強して知ったのですが、二極モーターは半周は通電していなくて反動で回っているんですよね。

だから、ちゃんとスムーズに引っかかりがなく回る部品の精度と、半周の間は通電しないようにエナメル線を軸にきちんと這わせておく工作精度が求められるようです。

でも、教科書にはそこまで丁寧に書かれていなくて大雑把な図が書いてあるだけ。

これでは小学生には分かりません。僕も分からなかった(汗)。

とりあえずちょっと修正したら、ちゃんと回りました。あ~よかった!

| | コメント (0)

滝本恭三バンド+nu-z at ページワン

Dsc01315

昨晩は、大学の後輩が滝本恭三さんのバンドでベースを弾くと言うので、久しぶりにページワンに行って来た。

渋滞のため滝本恭三バンドの出番に間に合わなかったけれども、対バンのnu-zという若い人たちのバンドが元気が良くて楽しかった。

nu-zのアンコールで滝本恭三バンドも出てきたので、久々に恭三さんの歌声も聴けた。やっぱ、ええ声してるわ。

久しぶりのライブハウス、楽しかったな。

ウチのバンドはしばらくライブをしていないので、ちょっとうらやましかったなあ。マスターに誘われたし、また何とか都合をつけて計画しようかな。

| | コメント (0)

2011年8月21日 (日)

夏旅行2011 総括 その3 「観光地」について思うこと

Img_2647

津和野を訪れたのは初めてだったが、思っていた印象とはずいぶん異なった。

「山陰の小京都」と呼ばれる津和野。

「小京都」の定義が何なのかは良く分からないが、思った以上に町は広く、「観光」出来るところが一か所に凝縮しているわけではない。

川を中心に山あいに広がる町は何とも言えないのどかな雰囲気で、「観光」するというより住んでみたいと思わせる町で、無理に「観光地」にしてしまうのは何だか惜しい気がした。

住んでいる人たちもそれほど「観光地」としてガツガツしていない様子で、たまたま訪れた旅人としては、このまま「観光地」の垢にまみれずにそっとしておきたい感じもした。

その点、は異なった。

中州に出来た町は、決して狭くないながらもひと所に見どころが集まっており、町全体が「観光地」であるのに巡りやすい印象はあった。

ただ、「萩を世界遺産に」という横断幕を掲げて町の観光整備に取り組んでいる場所もあれば、それとは全く無関係にファミレスなどが立ち並ぶ今の日本のどの町にでも見られる光景が目に付く場所もあった。

「観光地」化された狭い道路を自転車で走ると、そこは地元の人たちの生活道路でもあるらしく、道路の端を一列に走っているにもかかわらず何度もクラクションを鳴らされたり、車の中からこちらに向かって(恐らくは文句を)叫んでいる中年女性がいたりと、明らかに地元民が「観光地」であることに苛立っている様子もあり、「観光客」としては自分たちはあまり歓迎されていないのだなと実感せざるを得ない場面もあった。

「世界遺産に」という目標を掲げて町の活性化を進めようとしている人たちも少なからずいるのだろうけれども、町全体としての合意がなされない印象があり、このあたりは石見銀山の町、大田市大森町とは対照的であった。

秋吉台・秋芳洞の自然造形は圧倒的であった。

「観光地」としての歴史も長く、要所要所のバリアフリー化も進んでいて、スムーズに「観光」を楽しむことができた。

ただ、旧来然とした「自然に与えられたもの」だけに頼りきった草臥れた印象の場所も少なくなく、このあたりは鳥取砂丘に共通したものも感じられた。

洞窟内の照明のLED化や洞窟体験・探検ツアーの設定など、随所に工夫も見られたが、町(洞窟周辺)全体で巧くテーマパーク化すればもっと楽しめるのにとちょっと惜しい気がした。

Img_2763

以上、今回の夏旅行で地方の観光地をぐるっと回った印象でした。

短い時間で多くの場所を巡ったので、表層的な印象を連ねた部分もありますが、それも一「観光客」の感想として捉えていただければ良いのではないかと思います。

いずれの土地も訪れて楽しい素晴らしい所でした。

楽しかったな、中国地方一周(観光地だけは半周だけど)キャラバン。

| | コメント (0)

KAZUMASA ODA TOUR 2011 どーもどーも

昨日は小田和正の3年ぶりの全国ツアー「KAZUMASA ODA TOUR 2011 どーもどーも」神戸ワールド記念ホール公演に行ってきました。

ホール・ツアーの最年長記録ということだそうですが、相変わらず元気でしたねえ! 小田さん。

いつものようにステージを走り回っておられました。

同年代のミュージシャンとして、また完璧主義のミュージシャンとして、小田和正は山下達郎と双璧をなすと思いますが、色んな意味で達郎氏のライブとは好対照でした。

まず達郎氏は「音に満足できない」という理由で頑としてソロのライブではホールを利用しませんが、小田さんは今はそれほど拘ってはいない印象。

オフコースの頃は、武道館は音が悪いから・・・というようなことはよく口にされていた印象がありますが。

また、徹底してクオリティの高い職人芸を観客に楽しんでもらうというスタンスの達郎氏に対して、質の高い音楽を提供するのはもちろんですが、会場全体で参加する盛り上がりを優先させている小田さん。

ステージというよりもホール全体を走り回り、客席にマイクを向けて客にも歌わせ、ホールの後ろの席でも楽しめるように全方位にスクリーンを配し、どの場所からでも見える複数の位置に歌詞を表示し・・・とにかくホールの隅々の観客までもが参加して楽しめるように様々な工夫と努力がなされた演出でした。

達郎氏をして「小田さんはバケモノです」と言わしめていましたが、観ている方が心配になるほど走り回り、さすがに走っているときは歌声も乱れはするものの、その直後にはあの伸びやかなハイトーンヴォイスをピッチの乱れもなく響かせる・・・、普段から並々ならない鍛錬をされているのでしょうね。

まさにプロフェッショナルの仕事を観せてもらった気がします。

個人的にはオフコースの初期の曲をたくさん演ってくれたのが嬉しかったな。

昨晩は子供たちを僕の両親に預けて、夫婦で久しぶりの「お休み」を過ごしました。

楽しかったな。ありがとう、小田さん。

残りのツアーもお怪我などのないように頑張ってください。

僕らも頑張ります。

| | コメント (0)

2011年8月20日 (土)

KAZUMASA ODA TOUR 2011 どーもどーも

Dsc01311

素晴らしい夜をありがとうございました。

| | コメント (0)

2011年8月18日 (木)

夏旅行2011 総括 その2 「観光地」について思うこと

Img_2448

今回の旅行は、子供たちの強い要望で最終的に秋芳洞へ行くことが目的だったので、中国地方を一周することにした。

岡山や広島には家族で行ったことがあったので、今回は山陰を中心に回ることにし、最初の鳥取砂丘に行く前に、兵庫県佐用町でひまわり畑を観に寄ることにした。

ひまわり」はこの町にとって比較的新しい観光資源のようだが、町興しとして町全体で取り組んでいる様子が伝わってくる良いイベントだった。

鳥取には2年間住んでいたことがあるが、鳥取砂丘を「観光」したのは初めてだった。

砂による彫刻などの新しい試みはあるものの、まだまだ既存の「自然」だけに頼った観光産業だけではだんだん人を呼び込めなくなって寂れてきている印象はあった。

もちろんあるがまま「自然」の雄大さや優美さは何にも代え難く素晴らしいのだが、そこに上手く人を導く工夫はあまりされておらず、相変わらずの草臥れた土産物屋ばかりが目に付いた。

僕らは時間の都合で夕暮れ時の砂丘に行くことになったが、この時間帯の砂丘の美しさは格別で、夏の暑さもなく、砂丘という自然の造形に圧倒された。

こういった情報を上手く伝え、観光客を呼び込むツアーなどがあってもいいと思う。

今回は観ていないけれども、明け方の砂丘もきれいだろうな。

出雲大社は残念ながら遷宮の工事中だったが、それでも並々ならない「力」を感じるパワースポットだった。

きっとそれは地元の人も訪れる人も「そういうもの」として崇め奉り大切にしてきた歴史の積み重ねによるものだろう。

人が土地を作り、土地が人を作る、ということだと思う。

石見銀山は行ってみるまでは、観どころがあまりよく分からない観光地だった。

しかし、行って詳細にガイドを聞くと深い感動を覚えた。

およそ500年間にわたって銀山が隈なく掘られ、一時は世界の銀の3分の1を生産したと言われ、世界経済に大きな影響を与えたにもかかわらず、山の形は保たれ、植林が行われ、巨大産業と自然が共生していた。

世界遺産に指定された最初のころは鉱脈を掘っていた「間歩」と言われる穴までバスが行き来していたらしいが、自然との共生を謡う産業遺産にふさわしくないと、あえて観光客に徒歩や自転車による観光という不便を強いることとした。

しかしそのことで観光地としての魅力がさらに際立っているように思えた。

この「観光地」の魅力は、その歴史やそれを支えてきた人々の力だけではなく、今その土地で生活する人々によって作られていることが良く分かった。

世界遺産登録に対しては町を挙げての協力体制があったそうだが、それでもやはり反対する人たちはいたそうだ。そりゃそうだろう。これまで静かに守って来た生活が脅かされる恐れがあるのだから。

けれども最終的には町全体でそのことを受け入れる合意がなされ、運命共同体としての「観光地」がより輝きを放つことになった。そういう印象を受ける。

観光バスやタクシーの乗り入れることができないところも、そこに住んでいる地元民の自家用車は通行可能だ。

その地元の人たちの車には皆「地元民で~す。」とユーモラスなカードが掲げてあった。

Img_2586

「その3 津和野~萩~秋芳洞」に続きます。

| | コメント (0)

2011年8月16日 (火)

夏旅行2011 総括 その1

Img_2602_2

昨年に引き続いて今年もキャンピングカーで夏旅行を行った。

3日半で1200Kmという強行軍ではあったが、今回は子供たちを寝かしつけてから夜の間に移動する方法を取り、距離を稼いだ。

朝、目的地で眼が覚めればゆっくり朝食も摂られるし、子供たちも早起きして宿題をして・・・という生活のペースを崩さないで済む。

大人は夜のんびり過ごすことができなかったが、どうせ本を読むか早く寝るかくらいしか夜のキャンピングカーでの過ごし方はない。夫婦交代でハンドルを握り、疲れた方が寝ることにした。それでも遅くても夜12時くらいには現地に着いて就寝できた。

キャンピングカーでの旅行の良いところは、大雑把な計画さえ立てておけば、現地に行って何とかなるというところ。

今回は泊まるところは全て「道の駅」とした。

「道の駅」の店舗などの開業は比較的朝遅いところが多く(大体は9時くらいから)、それを待って朝食にしていたのでは時間がもったいないので、「道の駅」に期待するところは、キャンピングカーを停めても迷惑にならない駐車スペースとトイレの確保だけ。

無用なトラブルは避けたかったので、「道の駅」以外の無料駐車スペースはリサーチしなかった。

食事は基本はコンビニかスーパーとした。

最近のコンビニはメニューも豊富で、サラダなども充実しているため、上手に買い物すると栄養のバランスも悪くない。

大抵はコンビニの端に駐車して買い物をし、そのままキャンカーの中で食べて、ゴミもそのコンビニに捨てさせてもらった。

これで外食よりも時間もお金も節約できたし、ゴミも溜まらない。

駐車スペースの大きなスーパーがあれば尚良し。

コンビニよりもメニューが豊富(地元独特の物もあり面白い)だし、値段も安い。ただし、コンビニの方がメニューのパッケージングが上手だったり、ちょっとしたデザートに美味しそうなものがあったりで、このあたりは一長一短。

あとは風呂。

キャンカーにはシャワーはあるが、あくまでも緊急用として、今回は使用せず。

狭いキャンカーに閉じこもってばかりで、風呂くらいはゆっくり浸かりたいもの。

温泉、スーパー銭湯、ホテルの外湯などは探せば大抵どこにでもある。

出発前には道の駅の場所と入浴できる場所だけは事前にチェックしておいた。

今回の旅行は、とにかく子供たちが秋芳洞に行きたいと言っていたので、大雑把に中国地方を回ることとして考えていたが、事の詳細を決めたのは出発の前日。

泊まる道の駅に至っては、候補はピックアップしていたが、最終的には走行中にネット検索をして決定していった。

まあ、キャンカーとネットと道の駅と温泉とコンビニさえあれば、いつでもどこでも何とでもなるといったところ。

今回は天候にも恵まれた。

毎日夕立(ちょっとした所謂ゲリラ豪雨も)には見舞われたが、ほとんどはタイミング的に実害はなく、行きたいところに行って見たいところは全て見られた。

日中は相変わらずの猛暑続きだったが、夜寝苦しいことは一度もなく、窓を開けて換気扇と扇風機を使えば、家族6人が押し固まって寝ていても暑苦しいことはなかった。

発電機は一度だけ、夜の間に扇風機やら諸々の充電やらで電気を使い、セカンドバッテリーの電力低下で朝食時に室内灯が点かなくなった時に回したくらい。

朝夕のキャンカー内で過ごす時間帯には、ほとんどクーラーを要することもなかった。

住環境が良ければストレスも溜まりにくく、疲れにくいし、子供たちのケンカも少なくて済む。

それでもウチの場合は3泊4日が限界かな。

人数が多いので洗濯の問題もあるし(コインランドリーは2回利用した)、ずっと狭いところで暮らしているとじゃれ合っている子供たちも些細なことでケンカが増える。

もう一日くらい長いと、大人も疲れが尾を引きそう。

ま、ちょうどいいくらいのお休みだったということにしておきましょう。

| | コメント (0)

地蔵盆

Img_2783

今夜は僕の職場の30mほど斜向かいにある(自宅からは100mほどの距離)お地蔵さんの盆祭り。

Img_2785

僕の仕事が終わってから連れていったので、残念ながら子供たちの喜びそうな催しはほとんど終わっていました。

ごめんね。

それでも参加することに意義あり。田舎の小さな盆祭りの雰囲気は悪くない。

子供たちはパジャマでお参り。

Img_2788_2

| | コメント (0)

2011年8月15日 (月)

秋芳洞・秋吉台~帰宅

Img_2688

秋吉台にほど近い道の駅「みとう」で目覚めた朝は、いつものように車内で宿題をして、今回の旅行で子供たちが一番行きたかった場所、いざ秋芳洞へ。

夜の間に雨が降り、水の量が多く、霧も出ていて幻想的。

Img_2702 Img_2713

5D2も超高感度は使えないなあ。

上の3人の子供たちが「冒険コース」というちょっと険しいコースに行ってしまい、取り残された次女が自分も行きたいと大泣き。

しょうがないので僕ら夫婦で補助しながら次女も「冒険コース」を敢行。見事歩き遂げました!

Img_2717 Img_2723 Img_2727 Img_2743 Img_2757Img_2773

地上に出た後はカルスト台地をぐるっと巡り、帰路へ。

Img_2778

帰りは美祢ICから中国道を500Kmの旅 。

夜8時ごろに帰宅した時にはトリップ・メーターはちょうど1200Km。

子供たちも疲れたのでしょう。車中で半分くらいは寝ていたのに、帰宅して入浴した後、あっという間に熟睡。

楽しかった中国地方(主に山陰)一周キャラバン3泊4日。

終わってみればあっという間。

いい思い出になったかな。

明日からは宿題が多いゾ!

| | コメント (0)

津和野~萩

Img_2637

道の駅「津和野温泉なごみの里」で目覚めた朝は少しゆっくり車の中で宿題を。

津和野の町は意外に広く、どこから観ていいのか分からなかったのですが、とりあえず長男が行きたいという「森鴎外記念館」と津和野城跡へ。

津和野城跡へはリフトに乗った後、まだ15分間ほど山道を登らなければなりません。

今回の旅行は車も沢山走りますが人も良く歩きます。

本丸からは津和野の町が一望。

SL「やまぐち号」が走り去るのが見られました。

Img_2650

森鴎外は来年で生誕150年。

津和野で生まれ、10歳で同郷の西周を頼って上京するまでこの地で過ごしたそうですが、残念ながら生涯故郷に帰ることはなかったそうです。

しかし遺書には石見人森林太郎として死にたいと記されていたといいます。

Img_2614

午後からは萩へ移動。

ようやく積んできた自転車が活躍することに。

子供たちは町並みを観ることよりも自転車に乗ることに意義があったようですが。

Img_2669

吉田松陰が祀られている松陰神社へ。

吉田松陰は老成した人物の印象がありましたが、安政の大獄のために刑に処されたときは数え年で30歳だったんですね。

Img_2658

松下村塾前にて。

僕らに知恵と勇気をお与えください!

Img_2662

夜は子供たちを寝かしつけた後、秋吉台近くの道の駅「みとう」に移動して車中泊。

| | コメント (0)

2011年8月14日 (日)

出雲大社~石見銀山

Img_2505

出雲の手前の道の駅湯の川で目覚めた朝は、そのまま出雲大社へ。

Img_2516_3

残念ながら「平成の大遷宮」の最中で平成25年まで工事中のため、御仮殿にお参り。

それでも日本随一のパワースポット。並々ならない「力」に溢れた空気が漂います。ご利益あるかな?

Img_2520

大社のすぐ目の前だったので、ミーハーにこんなところにも寄ってみました。

Img_2532

昼からは石見銀山へ。

世界遺産センターに車を止めてバスで町の中心に移動した後は、世界遺産保護のためにバスもタクシーも使えません。

2.3Kmの坂を登って行かなければならない龍源寺間歩(銀の採掘場)は、小さな子供には無理でしょうとガイドの人に言われたけれども、行きは「自転車タクシー」を使って敢行。僕と長男は歩き。

電動アシスト付きのようですが、漕ぎ手のお兄さんはかなりきつそう。

タクシーと考えるとなかなかの値段でしたが、詳細なガイドをしてくれたのでむしろ安いかも。

Img_2553

龍源寺間歩の入り口。

Img_2569

一日30cmしか掘ることができなかったそうですが、500年間で600以上の「間歩」が掘られたようです。それでも山の形が保たれ、木々を伐採しても植林しつつ、自然と共生してきた産業遺産として世界に類のないものだそうです。

Img_2576 Img_2580

江戸時代にはこの町に20万人もの人が暮らしていたそうです。

かなりの距離を歩きましたが、詳しいガイドを聞きながら散策したので感動ひとしお。

Img_2601_2

夕方には温泉津温泉で入浴。

子供たちを寝かせつけながら夜の間に津和野に移動しました。 

| | コメント (0)

2011年8月13日 (土)

佐用町のひまわり~鳥取砂丘

Img_2418

昨日は仕事を終えて、午後から今年の「夏旅行」に出発。

まずは兵庫県佐用町のひまわり畑を観て鳥取砂丘へ。

Img_2451

砂丘に着くのが遅くなってしまいましたが、夕暮れの砂丘のきれいだったこと!

昼のうちに来たら灼熱地獄だったでしょうね。

Img_2464 Img_2490

砂丘温泉ふれあい会館で入浴した後、子供たちを寝かせつけながら西へ移動。

出雲の手前、道の駅湯の川で車中泊。

今日は出雲大社~石見銀山へ行く予定。

| | コメント (0)

2011年8月12日 (金)

大阪駅

Img_2401_3

昨日は、夏休み恒例の、一時帰国しているバルセロナ在住の友人家族と会食。

新規開業した大阪駅で待ち合わせ。

開業して3カ月。少しは人波も落ち着いたかと思いましたが、平日にもかかわらずノースゲートビルディングのレストラン街は長蛇の列。

Img_2397

線路を挟んで立つノースゲートビルとサウスゲートビル。そのふたつのビルに跨って広がる大屋根の広がりは関空みたい。

| | コメント (0)

2011年8月10日 (水)

「嫌われ者の流儀」

41sro7uq5ll__sl500_aa300_ 堀江貴史氏のことはずっと「悪い奴」だと思っていた。

しかし、思い返してみれば、僕が彼を評価する資料は全て例の「ライブドア事件」のテレビ報道によるものでしかなかった(今はほとんど見なくなってしまったが、当時はまだ少しはテレビを見ていた)。

もともと僕は経済に詳しいわけでもなく、ましてや「ライブドア事件」で何らかの直接被害を受けたわけでもない。

しかし(いやだからこそ)、テレビによる一方的な報道を何の疑いもなく鵜呑みにして、堀江氏のことを評価していた。

冷静に考えてみると、堀江氏は「フジテレビ買収」を企図しテレビ業界の既得権益層に真っ向から挑んだ人間である。テレビが彼のことを好意的に報道するわけがない。

僕はまったく深く考えずに、この報道に対するリテラシーを著しく欠いていたと言わざるを得ない。

その「ホリエモン」こと堀江貴史氏の評価が少しずつ変わり始めたのは、彼がTwitterで頻繁に様々な意見を言うのを目にするようになってからである。

Twitterで彼のことをフォローするようになって驚いたのは、自分に対する些細な批判にもいちいち答えていた点だ。

彼のようにTwittterのフォロー者数が数十万にもなると、当然称賛も批判も山のようにあるわけで、通常は無視してしまうことが多いと思う。

しかし堀江氏は愚直と言っていいほど、そのひとつひとつに答えてTweetしていたのだ(もちろんそれが全ての批判に対してかどうかはわからないが)。

多くの人が、堀江氏に対する評価を変える潮目になったのはTwitterでの発言によるもののようだ。

そういう意味では、彼の「草の根運動」は確実に種を撒いていたと言えるのかもしれない。

前置きが長くなった。

堀江貴史氏と茂木健一郎氏の対談本「嫌われ者の流儀」を興奮しながら読んだ。

茂木氏も堀江氏のことを「悪い奴」だと思っていたらしい。

堀江氏は茂木氏をNHKの司会なんかをする「つまんない男」だと思っていたらしい。

茂木氏と堀江氏の両者をTwitterでフォローしていると、全く別々のタイムラインで流れて来ていた二人のTweetが絡み始めたのは比較的最近のことだ。

Twitterを通して互いの存在を再認識した二人が2010年10月から2011年5月までに6回、計15時間に渡って、ライブドア事件について、日本について、日本人について、国家について、司法について、変革・革命について・・・様々な問題について、互いの見解を述べ合い、ディベートし、意気投合し、エールを送りあう。

決して二人の主張の全てが一致しているわけではないが、お互いを社会(既得権益層)からの「嫌われ者」と認識し合った時、お互いに生まれたリスペクトの思いが実にいい塩梅にこの対談を醸成し、相乗的に密度の濃い時間を作りだしている。

深い教養に裏打ちされたそれぞれの確信が、些細な日常生活周辺から宇宙に至るまで縦横無尽に絡み合い、読者さえもその現場に居合わせたかのように興奮に引き込んでいく。

いい対談本です。

目次を読み直していたらまた読み返したくなってきた。

ホリエモンの懐の深さもさることながら、茂木さんは対談が巧いわ。他の対談本でも思ったけれど、相手の持てるポテンシャルを存分に引き出してくる。

幅広い教養と相手に対する敬意と洞察力が有機的に作用して、相手が準備していた以上のものをポジティブに出して来させる。そんな印象です。

| | コメント (0)

2011年8月 7日 (日)

保育園の夏祭り~神鍋高原

Img_2300

土曜日は僕は夜まで仕事があったのですが、子供たちは夕方から次女の保育園の夏祭りに。

長男がずいぶん次女のお世話をしてくれたようです。

皆思い思いの遊びをし、駄菓子を買い、小さなおもちゃを買って、大満足。

Img_2277

夜僕が帰宅すると、子供たちは既にキャンピングカーの中で就寝中。

そのまま身支度をした僕が運転して、土曜の夜は道の駅神鍋高原で車中泊。

夜は寝苦しくはありませんでしたが、翌日曜日は、高地だから涼しいかと思いきや灼熱の高原でした。

1時間ほどグラススキーをしましたが、あまりの暑さに昼食後は皆で昼寝。

Img_2330

長男には、今度は秋に来ようと言われてしまいました(笑)。

確かにこれ、真夏にやるもんじゃないわ。

| | コメント (0)

2011年8月 4日 (木)

「マイレージ、マイライフ」

71gzfwruucl__aa1439_ITバブルが華やかなりし頃、また村上ファンドのインサイダー取引事件があった頃、「虚業」という言い回しを良く耳にした。

何が「虚」で何が「実」なのかよく分からないが、純粋な肉体労働以外を「虚」と言われるのだったら、ホワイトカラーの大半が虚業を営んでいることになると思うけど。

マイレージ、マイライフ

一年のほとんどを北米中飛行機で飛びまわる出張族ライアン・ビンガム(ジョージ・クルーニー)の仕事は、企業から依頼を受けて従業員に解雇を通告すること。「出張」というライフスタイルを愛し、1000万マイルのマイレージに到達することのみを夢見る彼の生活は極めてシンプル。スーツケースに収まらない荷物も人間関係も背負い込まない。しかし、そんな彼の人生観を覆す出会いが訪れる・・・。

この主人公の仕事こそ最も「虚しい」もののひとつかもしれない。

企業からの依頼を受け、従業員に「クビ」を言い渡す。

依頼主とは違って実際の現場を飛び回る彼は、生身の人間たちの実情も十分踏まえたプロフェッショナルだ。

リストラを宣告された人がどういう反応を示すのか、そしてそれにどう対処すべきなのか、誰よりも現場を見てきた彼はスマートではあるけれども決して冷徹ではない。

このあたりの描き方は、観る人に主人公へのシンパシーを掻き立て、この特異なキャラクターに自然に寄り添うことができるように練られている。

JUNO」のジェイソン・ライトマン監督らしく心温まる設定だと思う。

余計なものを何も所有しない、極めてシンプルなライフスタイルを持つ彼に訪れた転機。そして・・・

ほろ苦い結果は恐らく誰にでも予想のつくものだが、この映画のあざといのは、どういう結末であってもジョージ・クルーニーなら「画」になるということだ。

胸にツンとくる挫折感と晴々しいくらいの虚しさは、ジョージ・クルーニーというキャラクターのダンディズムとヒロイズムを通して、観る者に映画的な充足感を与えてくれる。

最後には実際にリストラに遭って人生の岐路に立った人たちが数名登場し、コメントを残す。失業大国アメリカにおけるハート・ウォーミングなエールを設けたのだろうけど、ちょっとちぐはぐな感じも受けた。

ま、僕らはジョージ・クルーニーにはなれないからね。

観終わった後ほんの少しだけジョージ・クルーニー気分に浸れる(勧善懲悪のアクション・ムービーを観た人たちが肩をいからせて映画館を出て来るのに似てるよね)という意味では悪い映画ではないです。

| | コメント (0)

2011年8月 1日 (月)

「街場の中国論」

Machiba3_big 中国については思うところがたくさんある。

何故外交がここまでこじれなければならないのか?(本当はこじれているのではなく、何らかの眼に見えない取り引きがあるのか?) アメリカはどう考えているのか? 中国の発展は今後どうなるのか?(発展し続けることが可能か?環境問題はどうなるのか?)

ネット社会は韓国も含む隣国の話題に対して非常に敏感であり、隣国について、隣国との関係について語ることは相当にデリケートな問題である。

隣国に関するほんの些細な発言や記述が独り歩きして、ネットの匿名社会で「血祭り」にされることも少なくない。

しかし、冷静に考えてみると、そう言ったファナティックな意見が形成される土壌は、単純に僕たちが日本という国を愛しているという要素だけで成り立っているとは思われないような気がする。

つまり、何らか別の所からの「意思」が「そういう方向」に向かわせているのではないかと疑ってみずにはいられないのだ。

そういう僕の漠とした疑念にすっと収まるように答えてくれた一冊、「街場の中国論」。

日本の辺境性については良く理解しているつもりであったが(「日本辺境論」)、本来の「中華思想」から両国間の関係に迫る段は実に腑に落ちるものがあった。

中国(中国共産党)の考え方は、我々日本人の論理規範を単純に当てはめることで理解しようとするから無理が生じる。

「中華思想」しかり、「国民的統合の記憶の核」に立ち返るための方便としての「抗日・反日感情」しかり。

もちろんそれが外交というネゴシエーションの場で、(日本にとって)良いか悪いかというのとは別の次元の問題で、あくまでも「理解」の問題である。しかし、この肝心の「理解」がなされていなければ、タフ・ネゴシエーションの中から少しでも日本にとって良い条件を引き出すことは困難だと思う。

そういう観点から日本を牽引してくれる政治家が見当たらなそうなのは、日本の未来にとって憂慮すべきことかもしれない。

また、「理解」とは別に、第3者の「意向」が常にこの大陸と日本の間に入り込んでくることも忘れてはならないだろう。

アメリカと日本の関係、中国と日本の関係は常に「ゼロサム」であるという論は言いえて妙だ。

アメリカはアジア各国を分断統治しようとしている、という論には全面的に賛成である。

アメリカは日本や中国・韓国が戦争をしない程度に仲違いしている方が自国に利益を誘導することができるという。

結局のところミステリーと同じで、「誰が一番得をする?」という原点に帰れば、思わず膝を打つ。

(個人的には、中国はその同じ手法を、日本と韓国の間に適応しているのではないかと思っている。僕は90年代には官民ともに日韓蜜月の時代が来ると信じていた。それが困難を極めているのは、お互いの経済事情や米国との絡みだけによるものではないだろうと思う。内田先生には是非「街場の韓国論」も執筆していただきたい。)

かように、「街場」(誰にでもアクセスできる情報)から中国を読み解いたこの本。最初の版が出たのは2007年であり、古い話題も盛られているが、決して今も色褪せていない。そこに2011年初頭までの新しい事項を増補して、中国論を語りながら、優れた日本論、米国論にもなっている。

良きにつけ悪しきにつけ、中国に関する話題に事欠かない昨今、何度も読み返すべき本だと思う。

| | コメント (0)

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »