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2011年4月

2011年4月30日 (土)

二色の浜

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昨日は家族全員で大阪に行ってきました。

体調がすぐれない僕は1カ月ぶりの外出。

子供たちも4月の週末はほとんど家や近所で過ごしてストレスがたまっています。

キャンピングカーのタイヤ交換時に後輪部のオイル漏れが見つかり、ディーラーに預かってもらっていたのですが、修理が完了し、車を取りに行くのが目的でした。

車は後輪のギアボックス部のシールの問題でオイル漏れを起こしていたようで、キャンピングカーのベース車両・カムロードを提供しているトヨタのクレーム処理となりました。

ディーラーの大森自動車さんはウチまで車を取りに来てくれ、迅速に対応をしてくださり、とても助かりました。ありがとうございます。

午前中に車を受け取った後、天気も良いので、ディーラーからほど近い二色の浜に遊びに行きました。

ゴールデン・ウィークに入り大阪に留まる人が少ないせいか、二色の浜は好天の割に空いていて、すぐ近くの駐車場に停めることができました。

僕は車の中で休んだり、堤防あたりで日向ぼっこをして、子供たちが走り回る様子を眺めながらのんびり過ごしました。

まだまだ外出は結構しんどいのですが、連休の後半も子供たちを遊びに連れて出られるように体調を整えていきたいところです。

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2011年4月29日 (金)

腰痛日記(坐骨神経痛日記) その4

しばらくブログ更新が滞っていました。

体調は万全ではないのですが、先週から仕事を再開したので、帰宅してからはとても文章を書く気力がありませんでした。

坐骨神経痛は徐々に改善はしてきているものの、まだ立位も10分くらいが限度ですし、普通の形の椅子に座り続けることはできません。

そんな状態で仕事を再開できたのは、ネットで見つけて購入したアーユル・チェアーという椅子が予想以上に効果があったからでした。

臀部の左右の坐骨にピンポイントで体重を掛け、両足を大きく開いて支える感じで座る様相になる椅子です。

臀部にピンポイントで座るので、お尻はある程度痛くなりますが、腰に負担のかからない姿勢が巧く整えられると、不思議なくらい坐骨神経痛がなくなります。

おかげで何とか仕事はこなせていますが、それでも疲労感はかなり強いです。

しかし、徐々に坐骨神経痛は和らぎ、痛みの出ない姿勢の範囲も広がってきていますので、少しずつ体を動かす量を増やしてリハビリしていこうとしているところです。

今日は1カ月ぶりに外出しました。

事情があって大阪に行かなければならなかったのですが、車の運転は家内に任せて、助手席で背もたれを倒して半座位になり、腰にクッションを詰めた状態で何とか痛みのない姿勢が確保できました。

帰りに二色の浜に寄って子供たちを遊ばせつつのんびりしてきたのですが、いいストレス発散になりました。

仕事を休んでいる間は、読書週間と割り切って本ばかり読んでいて、それも悪くはなかったのですが、早く以前のような日常を取り戻したいものです。

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2011年4月10日 (日)

斉藤和義の「ずっとウソだった」について思う2、3のこと

斉藤和義が彼のヒット曲「ずっと好きだった」を替え歌にして、反原発ソングの「ずっとウソだった」をYouTubeに投稿し、様々な議論を呼んでいる。

最初に投稿されたのが4月7日。

茶色い小ぶりのハットを被りサングラスをかけた髭面の男が、スタジオらしきところで、ビデオカメラに向かって、やおらギターを抱えて歌いだす。

ギターは黒のアコースティック。

斉藤和義のギター・コレクションとしては見たことのないギターだが、その歌声もギターもまぎれもなく本人によるものだと思われる。

この画像が出た当初、彼の所属するレコード会社ビクターはプライベートの動画が「流出」したとしてYouTubeに削除依頼をしており、やがてそれが「本人」であることを認めた。

もちろん最初から斉藤和義氏本人であることは明明白白ではあったが、僕は当初「『そっくりさん』がこんなのを投稿しました」という演出でやっているのかと思った。

つまり、斉藤和義というのはこういうことをする男かもしれませんよというのを、他人がパロディとしてやっているというのを演じるという、ちょっとした捻りがあって面白いと思ったのだ。

当然、メジャーレーベルに籍を置くミュージシャンとしてはあからさまに「原発反対」という歌を発表するのは困難だろうし、もしかしたらそういったこともレコード会社との契約に記されている可能性もあるだろう。

だから、顔と名前を堂々と出してこういった歌を歌うことができないのは当然として、でもそれをやるにはどうしたらよいか。

その試行錯誤からこういった手法を取ったのではないかと思ったのだ。

だから、ビクターも本人もあっさり「本人です」と認めたことが意外であった。

僕としては白々しく「さあ、誰なんでしょうか?あんなことをするのは?」なんてヘラヘラ笑いながら言って欲しかった気もする。

この斉藤和義の一連の行動に対して、称賛する声も、反対する声もあり、社会的影響力を持つ表現者としての無責任さや軽率さを指摘する記事なども見受けられるようだ。

僕個人としては、斉藤和義が今回のこの替え歌を「発表した」経緯は、そんなに政治的な信念があってしたものではないような気がする。

たぶん・・・

単にロック・ミュージシャンとしてアジテートしたかっただけなんじゃないかな。

そこにはきっと彼が尊敬する忌野清志郎の影はあるだろう。

そして今回そのアジテーションは、これだけニュースになり議論を呼んだ以上は、アジテーションとしては成功したと言えるだろう。

しかし、本人であることを認めて、一度行動を起こしたからには、次の姿勢や思想を問われるのは避けられないだろう。

4月8日にはUSTREAMで斉藤和義のアコースティック・ライブが配信され、その中でもこの「ずっとウソだった」は「ずっと好きだった」に引き続いて堂々と歌われた。

アジテーションの割に歌詞の内容は浅薄だと言われてもいるようだが、「ずっと好きだった」のパロディ、現在の情勢をおちょくる(それは体制側をおちょくると同時に、「騙された」と言ってもそれをいままで認めてきた自分たちをおちょくることになる)諧謔の歌としては悪くない。

けれども、こうやって堂々と歌ってしまった以上は、表現者としての信条が問われてくるだろう。

これからどうするんだろうね、せっちゃん。

ファンとしては、せっちゃんがどういう信条を持っていようが、歌を通して見守っていきたいと思うところだが・・・

それにしても、「誰だよあんなことをしやがったのは・・・」なんてヘラヘラ笑いながら言って欲しかったな。ロック・ミュージシャンとしてはそれだけで「十分」だったと思う。

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2011年4月 7日 (木)

長女入学式

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今日から1年生!

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2011年4月 5日 (火)

腰痛日記(坐骨神経痛日記) その3

友人の整形外科医がこのブログを見て電話をくれた。

持つべきものは友である。

感謝!!!

詳しく症状を伝えると、梨状筋症候群の可能性もあるとのこと。

確かに、今は腰痛自体はほとんどなく、坐骨神経痛のみであり、椎間板ヘルニアの診断基準のひとつであるSLRテストも陰性である。

立位や座位を取ると気の遠くなるほどの絶望的な右膝下痛に襲われるが、臥位になって右足を外旋すると痛みが軽くなる。

確かに梨状筋症候群と考えると、今の症状を合理的に説明できる。

しかし、梨状筋症候群を正確に診断するのは難しく、椎間板ヘルニアとの鑑別は困難であるらしい。

今回のMRIではヘルニアの突出は軽微であるようだが、その突出の度合いと症状の強さの間には必ずしも相関関係はないらしい。つまり、突出が小さくても症状が強いことはあるし、逆に大きな突出があっても症状がないこともあるそうだ。

今日は、前回受診した救急病院の整形外科を再診し(歩行も車椅子使用も不可能なので、救急の入口からストレッチャーで運ばれた!)、こうした見解を含めて相談し、臀部のインナー・マッスルである梨状筋に直接ステロイド注射を打ってもらった。

確定診断は困難なので、とりあえず診断的治療をするということで。

今のところ痛みはやや和らいできている印象はある。

とはいえ、やはり立位・座位は1分と保てない。

いずれにしても坐骨神経の炎症、そしてあるとすれば梨状筋の炎症が引くのを待つしかない。

開き直って寝て過ごすのが一番の治療なのだろうが・・・

しかし、トイレだけはつらい!

これはホントに地獄の苦しみ!!

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2011年4月 3日 (日)

腰痛日記 その2

僕の腰痛歴は長い。

最初に坐骨神経痛(右膝下痛)が出たのは14歳。30年以上前の話だ。確か腰痛はほとんどなかったと思う。

当時の診断技術としては、症状を見るくらいしかなかったと思うが、牽引療法だけを受けていたように記憶している。

基本的に体育の授業も含めて運動はすべて禁止された。今ならそこまでしないだろうけど。

その後は特に大した症状はなかったが、浪人して大学に入った直後の4月に激しい右腰痛と右下肢痛で歩けなくなった。

病院へ行ったら即入院となり、2ヶ月間入院した。

5月生まれの僕は20歳の誕生日を病床で迎えた。苦い思い出である。

まだMRIのない時代だが、造影レントゲン(ミエログラフィ)で椎間板ヘルニアと診断された。

最初の3週間はまったく歩けなかったため、再三手術を勧められたが、当時の手術成績では再発率は50%あまりあり、頑なに保存療法のみで治療した。

それからは大学で競技スキーをしたり結構激しいスポーツをしていたが、時々腰痛と右下肢痛が出るものの大抵は安静にするだけで何とか症状は軽減した。

ただ3-4年に一度くらいは比較的強い症状に見舞われることがあったが、それでも入院するまでもなく、鎮痛薬や物療で軽快した。

前回強い症状が出たのは4年前で、MRIを撮ってもらったところ、椎間板ヘルニアはないと言われた。

それでもその時は立位を取るのがつらいくらいの症状であり、2回ほど硬膜外ステロイド注射を受けて、仕事も休まずに続けることができた。

腰痛の7割近くは明らかな原因が不明という説もあるらしく、また椎間板ヘルニアの3~5割は自然消退があるようなので、その時の腰痛の原因が何であったのか、以前の診断が間違っていたのかは不明である。

で、今回。

MRIでは一応腰椎椎間板ヘルニアであるようだが、局所のヘルニア自体の症状は軽いとのこと。痛みが強いのは炎症の強さによるものだろうということだが、これも考えようによっては「原因不明」の部類に入るのかもしれない。もしかしたら整体師の先生の言う「大腿骨頭のずれ」の方が、今回の症状の主原因であるのかもしれない。この「大腿骨頭のずれ」については今度整形外科の先生に聞いてみようと思う。昨日の受診時にはあまりに痛みが強かったので、そのことについて聞くのをすっかり忘れてしまった。

昨日は硬膜外ステロイド注射を受けたため、夜は比較的症状は軽かったが、今朝早くに足の痛みで目を覚ました。安静臥位でも痛みが激しかったため少し焦ったが、午後になり比較的ましになっている。

依然として立位も座位も取れないため、明日の仕事は無理だろう。もう一度父親に頼むしかないか。

椎間板ヘルニアが主原因であったとしても、最近の知見では手術適応になるのは5%しかないらしく、いずれにしても疼痛コントロールと安静で様子を見るほかはない。

もう今さら焦っても仕方ないので、この際のんびり本でも読むかという気分である。

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2011年4月 2日 (土)

腰痛日記 その1

とうとう昨日から激しい腰痛と坐骨神経痛のために臥せってしまった。

ツイッターで「オレはこれからモーレツに働いてモーレツに遊ぶ」なんて勇ましいことを言ったばかりで、情けないこと甚だしいが、この冬モーレツに働いてモーレツに遊んだ結果だから仕方ないかもしれない。

それにしても体重12Kgの次女をおぶって毎週のように子供たちと「スキー合宿」したのはさすがに無理が過ぎた。自分の体力を過信していた。反省して、自分の腰と迷惑をかけた家族に謝りたい。ゴメンナサイ!

3月27日の日曜日の午後に腰痛と坐骨神経痛である右膝下外側の痛みが出始め、最初はまだ姿勢の取りようによっては何とか我慢できたものの、毎日仕事を続けるうちに、だんだん悪化してきた。

そこで、昨日、友人に整体を紹介してもらい、昼休みに仕事を抜けて掛かってきた。

そこでは、この痛みは腰椎椎間板ヘルニアではなく、右大腿骨頭の位置がずれたことによるものとの見立て。

指圧と鍼を受け、2-3日で痛みは軽減するでしょうと言われ帰ってきた後、ほとんど立つことも座ることも出来なくなった。

それでも痛みをこらえて午後の仕事を敢行したものだから、仕事の最中に痛みによる迷走神経反射で顔面蒼白になり、脂汗が滝のように出て、目の前が暗くなり、明らかに血圧が低下しているのが分かる状態。スタッフに何杯も水を汲んできてもらい、ぐいぐい飲みながら、朦朧としながら、漸く仕事を終えた直後にバタンと倒れた。

這うようにして帰宅し、仰向けの一定の姿勢なら痛みは軽かったため、朝には軽快していることも期待したが、今朝起きてみると息も出来ないほどの激痛で立つことも座ることも不可能。

思案したが仕方ない。

半引退状態の父親に懇願して何とか最低限の仕事だけでも代わってもらうことに。

そして、早朝から近くの救急病院に運んでもらった。

MRIでの診断は、L4-5/L5-S1間の腰椎椎間板ヘルニア。

ただし、ヘルニア自体の突出は小さく、そんなに重症ではないとのこと。痛みが激しいのは一時的に炎症が強いからだろうとのこと。

あながち、整体での見立ても間違ってはいないようにも思う。漢方医学では「瞑眩(めいげん)」といって、生薬の効果が出始める前に一時的に症状が悪化する場合が知られている。

今回の症状悪化も、瞑眩のようなものかも知れない。整体のことは全く知らないけど。

結局、救急病院では硬膜外ブロック注射を受けた。

痛みは多少は軽くなったが、まだまだ歩行も出来ない状態であり、入院を勧められたものの、入院しても疼痛コントロールと「安静」以外にすることはないようなので、自宅で様子を見ることとさせてもらった。

仕事のことも気になっていたし。

仕事については、父親は僕が新しく導入したコンピュータ・システムの扱い方を全く知らないのでどうなることやらと心配していたが、門前の小僧よろしく僕のやり方を傍で見て覚えていたスタッフが助手を務めることで、必要最低限のことはできたよう。

ホッと胸をなでおろすと同時に、こういった場合のリスク・マネージメントを怠ってきたことを深く反省した。

僕の腰痛歴は長い。

寝てばかりで暇なので、それについても書こうと思ったが、臥位でキーボードを打つのはかなり疲れるため、明日にする。

明日もほとんど寝っぱなしだし。

家内と子供たちには申し訳なく心苦しいが、基本的には半分をシェアしてきた家事も、しばらくは寝ころんで指示するだけにさせてもらう。

すまない!

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