退職
このブログには、基本的に仕事のことと政治のことは書かないという方針にしています。
あくまでも趣味と家族のことに限定して、自分と家族の覚え書きとしての役割が8割だと思っています。
けれども、今回のことは僕の人生の大きな転機になるので、「覚え書き」として書いておきたいと思います。
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この度、1年あまり勤めた職場を辞することにしました。
僕は一昨年まで、大阪の国立の福祉関係の仕事に従事していたのですが、子供が小学生になるのを機に、30年ぶりに僕の親の住む兵庫県に移住し、親の個人事業を継承する心積もりをしていました。
ところが、そういう僕の事情と僕のキャリアを知った兵庫県が、弱体化している兵庫県の福祉関連施設の復興に参与してくれないかと打診してきました。
施設復興のための条件が悪く、一旦お断りしましたが、施設長・副施設長や県職員の方々の粘り強い説得と、地元住民の期待に応える形で、引き受けることにしました。
僕の所属する部門の職員は僕ひとりだけで、数多くのハードルはありましたが、前任の国立施設では6年の赴任期間にその稼働率を5倍程度にしてきたノウハウを持っていたので(もちろん僕だけの力ではありませんが)、最初の半年間で少しずつ形を作っていきました。
ところが、昨年10月に、人事の一部を掌握する神戸の施設から、僕の上司の部長という形で、僕より10年年長の人物を派遣してきました。
そもそも、今回のプロジェクトを受ける条件として、僕に全権を任せてもらうというのが第一だったのですが、職員の数が少ない折、この人事を受け入れざるを得ませんでした。
しかし、この上司はこれまで数多くの職場を1-2年ごとに転々としており、物品納入業者との癒着や職場放棄の噂も数多くある曰くつきの人物で、赴任して3週間目には「ここは自分を派遣してきた神戸●●の施設だ。思い上がるな!この業界で年長者に逆らうことはどういうことなのか分かっているのか!」と公衆の面前で恫喝され、仕事に使用する物品を、全て彼の連れてきた業者経由の物に変更させられました。
(僕は神戸●●とは無関係の独自のルートで着任していますが、着任時に一応神戸●●へは挨拶に行っています。また神戸●●は施設の人事の一部に関与しているに過ぎず、決してこの施設は「神戸●●の施設」という訳ではありません。)
もとより、自分で望んで着任した事業ではありませんし、着任をする時の条件違反ですので、僕はすぐ副施設長に辞任を申し出ました。
しかし、副施設長は「今、君に辞任されるとこの施設は壊滅する。彼のことは何とかするから、もうしばらく我慢してくれ。」との一点張りで、僕は仕方なく、年度末までは様子を観ることにしました。
問題の部長は、明らかに物品の不適切な使用が散見され(過去のデータからは推奨されない場面での使用等々・・・)、福祉施設として地域住民に不利益を及ぼしているケースすらありました。
僕が辞めたがっているという噂を聞いた施設長が、僕と直接詳しい話をしたいと言ってきたのは1月末でした。
その席で、何とか辞任を思いとどまってくれと言う施設長に対して、僕は、秋から来た部長を辞めさせてくれるのなら仕事を続けると条件を提示しましたが、施設長は「君がそういうことで辞めたいと言うのなら、引き留めることはしない。」と言いました。
これは、僕にとっては事実上の辞職勧告になります。
そもそも、着任の時の約束を反故にされている上、職場環境の改善をトップに求めたところ、「改善はできない。それならやめて貰って結構。」と言われたわけですから。
そこで、年度末での辞職を準備していたのですが、再度、副施設長から政治的な問題もあるので何とか年度末は思いとどまってくれと懇願され、最終的に6月を待って辞職願を提出しました。
しかし、僕が辞職願を出してから、これほど大騒ぎになるとは思いもよりませんでした。
僕がいずれは辞めることは、誰も半年以上前から分かっていたはずですから。
施設長だけでなく、兵庫県の福祉関連の再生委員会の代表からも再三、電話があり、自宅まで直接話をしに来られました。
再生委員会の代表からは、問題の部長はもとより、施設長・副施設長も転任させるから、辞任は撤回してくれ、もう一度復興プロジェクトの全権を与えるからやり直してくれ、といろいろな条件を提示されましたが、どれもすぐには実現される可能性が高くなく、僕の精神的な消耗も激しく、固辞させてもらいました。
その後も粘り強く交渉に来られ、示された条件が本当に実現できるのなら魅力的な内容もありましたが、僕の父も今年で74歳になり、家の事業のことや、僕自身、そして僕の家族のことも総合的に考えた上で、やはりお断りすることとしました。
今でも、本当にこれで良かったのかという思いはあります。
もともと困難を承知で引き受けた仕事でしたし、地元の住民の方々から大きく期待されていたのは身に沁みていました。
今回の「お家騒動」に関して、施設の上層部や県の担当者に対する怒りはありますが、住民の方々には関係のない話であり、多くの人の期待に添えなかったという負い目は小さくありません。
着任時の僕の脇の甘さもあったかもしれません。民間施設では考えられないことでしょうが、僕が勤めてきた公共施設では、労働条件等を詳細な契約書として交わす慣わしはありません。けれども、僕が進めるプロジェクトのための条件を、きちんと文書として残しておけばよかったと思います。
僕に出来ることは限られていますが、これからは父の事業を引き継ぎ、その仕事を通して、地域の福祉に貢献できればと思っています。
いずれにせよ、今回の決断の是非は、数年、いえ十数年先にならないと分からないことでしょう。
という訳で、僕は来月からしばらく無職になります。
これまで、父の事業に関することには全く触れていなかったので、一から勉強と準備を始めなければなりません。
秋には事業の一部を引き継ぎ、年内には何とか独り立ちできるようにしたいと思っています。
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長文になりました。
明日からは、また趣味と家族のブログに戻ります(^^)。























































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